嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え という本を読んだ。
何かタイトルは不適切な気がする。タイトルから伝わるのはこの本の一部分に過ぎない。言いたいのは今この瞬間を真剣に生きることが大事ということなのか。内容は「反応しない練習」と似ているなと思った…が、当時の感想にそれらしきものが残っていない。自分を嫌うかどうかは他人が判断することだから気にしてはいけない、というのはどこかで見た覚えがあるんだがな。何だったか。
アドラー心理学は以下の考え方をするそうである。
人は主観で生きている。
現在を決めるのは過去の経験だという考え方を原因論という。これと異なり、現在を決めるのは経験から見いだす意味であるという考え方を目的論という。アドラー心理学は目的論が正しいと言っている。例えば不幸なことを経験したとして、原因論で考える人は、過去があったから自分は不幸だと捉える。目的論で考える人は、どう受け止めるかは自分で決める。この考え方だと「じゃあどうするか」という選択を自分ですることになる。このため、目的論の人にとって、不幸そうな人は好き好んで不幸になっているように見えるようだ。
人は課題を持っている。勉強することは親ではなく子供の課題。親が勉強しても意味がない。誰の課題かは、結末を引き受けるのは誰かを考えることで分かる。他人の課題には介入できないのだから、介入しようとしないこと。そうすれば人生は単純になる。
異を唱えて崩れる関係は要らない。
人の悩みは全部対人関係であり、全部誰かと比較して起きている。この世で一人になったら悩みが消えるのであれば、それは誰かと比べている。競争は勝ち負けで、比較となるので気が休まらないのでしてはいけない。
自分で選ぶときに、他者に貢献することが道しるべになる。これを見失わなければ嫌われようが何をしても良い。
人生に意味はない。人生は物語ではない。登山じゃない。旅である。「これからどうするか」が大事なので、この瞬間を真剣に生きること。
「信用と信頼は何が違うのか」の項目は納得いかない点が見受けられる。裏切ることを決めるのは相手だから信頼しろというのは納得できない。目的論でいうと信頼しないのは信頼したくないからで、それで満足なら良いのではないかと思う。
以下に感想を書く。
目的論の考え方は面白い。結局は行動だ。口では何を言っていようが、行動が伴っていないならその程度の気持ちなのだ。
この本はアドラーの考えを教えてくれるが、それぞれの項目の繋がりが見えにくい。「嫌われる勇気」と「目的論」は繋がりがあるのか?「課題の分離」と「目的論」は繋がりがあるのか?個々は納得するが全体として統一感がなく、ノウハウ集に見える。
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